うーむ、読み応えあるし、ちょっとショッキングなタイトルです。高畑勲監督の天才故の不幸な境遇。才能のある人は時として周りを不幸にさせるのかもしれない。鈴木敏夫氏は徳間出版のアニメ雑誌「月刊アニメージュ」の編集長からジブリに転身、その後ジブリ作品のプロデューサーとして活躍する。アニメのプロデューサーとしてズブの素人だった彼が高畑勲と共に『風の谷のナウシカ』に携わり、それ以降のジブリを宮崎駿、高畑勲と共にブランドとして牽引してきた。社長の役を退き、改めて高畑勲との思い出を語る。
「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲#1
高畑さんが亡くなり、「お別れの会」を終えたいまも、気持ちが収まる気配がありません。徳間康快や氏家齊一郎さん、あるいは親父やお袋が死んだときも、葬儀を終えてしばらくしたら、心の整理はついたんです。ところ… 「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #1 | ... - 文春オンライン |
「高畑勲監督解任を提言したあのころ」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #2
今年4月、映画監督の高畑勲さんが亡くなった。プロデューサーとして支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫氏が語る高畑さんの記憶――それは決して美談ではなかった。(#1より続く)◆ ◆ ◆ 当時、高畑さんが… 「高畑勲監督解任を提言したあのころ」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #2 | 文春オンライン - 文春オンライン |
「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #3
今年4月、映画監督の高畑勲さんが亡くなった。プロデューサーとして支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫氏が語る高畑さんの記憶――それは決して美談ではなかった。(#1、#2より続く最終回)◆ ◆ ◆ この… 「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #3 | ... - 文春オンライン |
この掲載は文藝春秋「ジブリの教科書19 かぐや姫の物語」 より転載しているということだ。